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一つ前と火災保険繋がり・・・
世界初の火災保険は、ロンドンで生まれています(1681年)。1666 年、世界三大大火の一つと呼ばれる「ロンドン大火」(The Great Fire of London)が起こり、4 日間に渡って燃え続けた大火は、中世都市ロンドンの85%を焼失させます。大火以前のロンドン市内は、殆どが木造家屋であり、街路も狭かったため、全てを燃やし尽くしてしまったわけです。 ![]() これを教訓として、チャールズ2世が、翌 1667 年、「再建法」を制定。家屋は全てレンガ造り又は石造りと規制、木造建築は禁止、道幅も規定されます。建築家クリストファー・レン(Christopher Wren)が町の復興に尽力し、彼の壮大な都市計画構想のもと、今のロンドンの姿があるわけで、英国を代表する偉大な建築家です。チャールズは、1世も2世も、そして未来の 3 世も縁起の悪い継承名ですが・・・ 話を「チューダー様式」の建築に移して、チューダー様式は、ヘンリー7世、ヘンリー8世、エドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世(1485-1603)というチュダー朝時代の様式ですから、同時代のシェイクスピアの生家も、チューダー様式の家で、白色のしっくい(漆喰)が茶色く変色してはいますが、そのまま現存しています。しかし、ロンドン一帯とその近郊で、当時のままのものは、1667 年の木造建築禁止に伴い取り壊されましたから存在しません。 ![]() 石灰(消石灰)に(ふのり、つのまたなどの)粘着性物質と麻糸などの繊維を加え、水でよく練り合わせた漆喰(しっくい)の「白」と「黒い」木のコンビネーションが特徴的ですが、ロンドンのリバティ・デパートも含め、これらは近年に建築されたもので、色鮮やか。当時のものは、白が茶色に変色していたり、塗り替えたとしても黒い木の部分が歪んでいたりするので、わかりやすいです。 この木と木の幅が狭いほど(漆喰の白いマスが狭いほど)、木材を豊富に使用していることになりますので、裕福であることを示しています。 「再建法」はロンドンだけの話しではなかったそうで、結構、チューダー建築はチャールズ2世の命令で取り壊されているので、地方に行かないと昔のものが残っていなかったりします。でも、ロンドン塔の中にあるんですよね〜?! 城の中は特別だったのかしら?
郊外へお出かけすると、英国には、わらぶき屋根の家(Thatched House)がまだまだあります。火災保険が高いことや、手入れも大変ですから、わりと裕福な人でないと住めませんが・・・ 変な連想ですが、私は、この「タッチド・ハウス」(わらぶき屋根の家)を見かけると、いつもサッチャー元首相とそのご主人 デニス・サッチャーさん(Denice Thatcher)が、次の瞬間、頭に浮ぶという脳の構造になっています。
![]() 日本では、「サッチャー」元首相と発音していますが、正しい英語発音では「タッチャー」となります。2人以上に確認しましたから間違いありません。 10 歳年上のデニス・タッチャー(Denice Thatcher)さんと結婚して、マーガレット・タッチャー(Margaret Thatcher)となった元首相ですが、「元首相はともかく、ご主人のデニス・タッチャーさんのことは尊敬している」という方も多いですよね。自身も、石油産業で財を成した立派な実業家で、妻を影に日向に支えたことは有名な話しとなっています。この方の御先祖は、「わらぶき職人」(thatcher)だったんでしょうね〜、きっと?! そんな会話を交わして以来、私は、「タッチャー」と自覚し、また、タッチド・ハウスを見かけるとこの夫妻を連想してしまうのです。 [thatch] ...(屋根の)ふきわら、わらぶき屋根、屋根をわらでふく a thatched roof, a thatched house, with a thatch 観光の際の予備知識にしていただければ・・・英国に限らずヨーロッパの(ゴシック建築における)寺院・大聖堂は、上空から見れば、また、内部に居てもおわかりの通り、ラテン十字の形をしています。 で、英国に限ったことだけをいえば、必ず、ラテン十字の頭(短い方)の方角が「東」を指しており、ここには「祭壇」が設けられています。英国から見て、聖地・エルサレムの方角に向って必ず建築されているからです。その反対、ラテン十字の足の長い方が「西」側になり、正面玄関(West Front Entrance)という造りです。 いろいろな寺院・大聖堂を訪れたことのある方は、カンタベリー大聖堂、セント・ポール寺院、ウェストミンスター、ヨーク大聖堂、ソールズベリー大聖堂(上写真)、バース寺院などなど・・・で、確認してみてもいいかも。 そして、これらの内部に置かれているお墓(台座の上に、人が横たわった状態で彫刻されている人型の墓)は、足が祭壇 = 東の方角、顔(頭)は西の方角という状態で置かれています。これは、蘇って体を起こした時に、祭壇の方角 = 聖地・エルサレムの方角を見るという理由から(改修などにより、元の位置から移動されている場合は、その限りではありません)。さて、西側にある正玄関の彫刻ですが、各々デザインにより多少のアレンジはあるものの(ゴシック建築の場合)これにも基本スタイル(ルール)があります。キリスト教は皆平等ですから、ランク(階級) などがあってはならないと思うのですが、なぜか、あるんですね?! 中央最上段に鎮座するのが、神の子としてもたらされた「キリスト」、このキリストの周辺には天上界で神に次ぐ地位を持つ「天使」がいます。キリストからぐ〜っと下に目線を降ろした入口の頭の部分には「マリア」の彫刻。このキリストとマリアの間に設けられるのが「十二使徒」。そして、それらを支える両サイド(の柱)には上から地位の高い方・一番地位が高いのは「殉教者」でサイドに、・・・(省略)・・・で、最後(入口横あたりの両サイド)には人々に教えを説く「司教」。 こんなことを頭に置ながら、いろいろと訪れて、アレンジを比較するのもオツですよ。 ![]()
意外と「半地下生活」経験者っているもんですね・・・ 海外にあって、日本にないものの一つかもしれません。道に面した黒い柵の向こうに窓の上部が半分だけ見えているのが、確認できますか?
![]() お家賃が安いので、昼間、出かけがちな人は、気にならないかも。また、3階に住んでいても、冬はあまり日がささないなんていう英国ですから(部屋が暗い)、それでもいいのかな〜なんて最近思ったりして・・・ ずっとはいやですが・・・ ![]() なんで、こんな半地下の部屋があるのかといえば、いつも頭に浮ぶのがバースの街で際立って特徴を掴むことができるジョージアン様式の建物(左下写真)。(右下写真は店鋪とオフィスですが、わかりやすくするために添付) ![]() ![]() 昔は、この半地下を台所として使用して、屋根裏部屋が使用人たちの部屋という構造だったからと聞いたことがあります。 おもてから見た外観は昔と一緒でも、現在のフラットの内部の構造を説明するのは、言葉ではちょっと難しいので、やめておきますが、分割されているので、賃貸のお部屋探しの際は、半地下の部屋の方が家賃が安いという具合。 ![]() ヨーロッパ諸国、カナダなどの植物園 (Botanic Gardens) の温室とえば、緑の鉄骨に全面ガラス張りの「パームハウス」(Palm House)。ヨーロッパを感じる建築物の一つですよね?! 写真は、ウィーンの「シェーンブルン宮殿」敷地内にあるパームハウス、ドイツ語で「パルメンハウス」(Palmenhaus, 1882年) ですが、植物園の温室といえば、英国の「キューガーデン」の温室 (1848 年) が世界的に有名。そこで、ちょっと、このパームハウスが世界に広まる起こり、英国の技術革新が起こるまでのお話を・・・ ガラスという点で、パームハウスの原型とされているのが 18 世紀に全盛をむかえた「オランジェリー」(Orangery)。16 世紀のドイツに遡ります。オランジェリーは、その名の通りオレンジを冬越しさせるための施設です。オレンジは大航海時代に原産国のインドなどからヨーロッパに持ち込まれ、地中海沿岸で栽培されていましたが、アルプスの北では栽培が不可能だったので、冬季の間だけオレンジの木を囲う仮設が設けられており、それが、17 世紀になると固定式の建物 (レンガ造りで、南側だけが木枠にガラスをはめた造り) が登場します。バロックが濃厚に漂う様相です。 (左写真:ロンドンのケンジントン・ガーデンにある「ザ・オランジェリー・レストラン (The Orangery Restaurant)」)当時、オレンジは、貴族や領主に限られた贅沢品であったため、オランジェリーは、宮殿や大邸宅を構成する建築物の一つであり、オランジェリーや南方の植物は社交の場を飾るエキゾチックな装飾の一つだったようです。ドイツやオーストリアでは宮殿本体と向い合わせて建てられたことに対して、フランス、英国では、宮殿本体と組み合わせて造られた傾向があります。キューガーデンのオランジェリーは1761 年 (キューガーデンにはパームハウスの他にヴィクトリア様式のオランジェリーもあり)。 貴族や特権階級のためのオランジェリーが、植物園のパームハウス (ヤシの木温室) へと変貌を遂げる背景には、南方の植民地から送られてくる多くの植物の栽培・試験場が必要になったことがあげられます。19 世紀英国で、1820 年前後から試みられ、1840 年には一応の完成をみる全面ガラス張りのパームハウスへと変貌を遂げる技術革新が英国で起こったのでした。その要因には、植民地の拡大と産業革命。 ![]() 英国にある教会や寺院、大聖堂、塔・・・ 大概、上まであがって、町並みを一望できるようになっていますが、筒のように丸い、クルクル回って上がって行く螺旋階段が待っているとわかっているので、ここ数年、上がろうなどという気をおこしたことがありませんでした。 しかし、先日、数年ぶりに、上がってしまいました。「あと何周、回ったらいいんだ〜!」といい加減いやになってしまいますが、後悔してもはじまらない。 こんなに大きな建築物なのに、なんで階段はこんなにも狭いの?! と嘆きながらも、昔の建築技術だからしょうがないとあきらめて上ることになります。それでも、上る時はまだいいのですが、下りる時は足を踏み外しそうで恐いですよね。この三角形の広い部分を通れればいいですが、上りと下りですれ違う際には、そうもいかず、一歩一歩を確実に・・・ ヨーロッパでは、たまにエレベーターがついた寺院もありますが、まだまだ階段でクルクル回って・・・が主流。私としては、エレベーターがついている方がおかしいと思うので、このままでいいのですが、おばあさんになったら上がれないだろうから、今のうちに沢山上って、街を眺めておこう!と心変わり。 私も、幾分、歳を意識するような年齢になったということでしょうか・・・
すぐ傍から見ていた、すぐ真下から見上げていた・・・それなのに気がつかない。後で写真を見て、はたと気づくことって、私の場合、非常に多いんです。
![]() そんな集中力・観察力のなさに初めて気がついたのは、6・7年前。英国国会議事堂の時計塔「ビッグ・ベン」の写真を現像した時。「こんな、凝った造りだったの?!」とびっくりしました。そう!こんな凝った造りだったんです。 ビッグ・ベン (1860) は、18〜19世紀、産業革命やフランス革命を迎えた激動の時代に、新たなる古典の研究と発見により誕生する建築様式「クラシック・リバイバル(Classic Revival)」に分類され、更に、ベースになっているのが、11〜12世紀のゴシック様式なので、「ネオゴシック様式」または「ゴシック・リバイバル様式」と呼ばれる建築です。 ![]() 初代スペンサー伯爵 (故ダイアナ妃の先祖) が、1756〜1766年に建てた (スペンサー家の) ロンドンの「タウンハウス」。貴族の生活の場は、元来、遠方の広大な領地にあり、本宅である大邸宅を構えています (「カントリーハウス」)。これに対して、年に数回、ロンドン詣というか、ショッピングなどに訪れたりしますが、その際の、ロンドンの別邸が「タウンハウス」というわけです。 「スペンサー・ハウス」は、ホテルリッツの裏手、グリーンパークに接する場所にありますが、公園からは見えるだけで、入口は、セント・ジェームス ストリートから。ロンドンに現存する数少ないネオクラシック様式 (クラシック・リバイバル) の邸宅で、ほんの一歩ピカデリーから入った道にこんな場所があり、邸宅内はまさにタイムスリップした様相で華麗。 ロンドン観光の一等地にありながら、なぜここが日本のガイドブックに載っていないのか不思議ですが、おそらく日曜日しか公開していないことと、専任の邸宅公認ガイドに連れられて (30 分おきだったかな) 出発するガイドツアー (所要時間1時間/英語) でしか中を見学することができないからでしょう (もし添乗員や現地ガイドを同伴していたとしても、邸宅公認ガイドでもない彼らは、一言も説明などをしてはいけない決まり)。建築やインテリアの勉強をされている方にとっては、必ず出てくる教材であり、数少ないロンドンのタウンハウスを見学できる機会なのでお薦めです。 ![]() 知人のリクエストに応えて、本日は、英国のチャーチル首相 (ウィンストン L. スペンサー=チャーチル Sir Winston Leonard Spencer-Churchill, 1874-1965) が生まれた (ご実家) 「ブラナム宮殿」 について・・・(世界遺産に登録されています) 「英国に有って、日本には無いものってありますか?」・・・この質問の手っ取り早い答えが「貴族」です (現在)。 貴族の生活の場は、基本的には田舎の広大な領地にあり、大邸宅を構えています。この本宅を「カントリーハウス」と言い、これに対して、年に2度程、ロンドンにショッピングに出かける時などに使われるロンドンの別宅を「タウンハウス」と呼びます。 ![]() オックスフォードシャー (州の名前) のウッドストックの町にある「ブレナム宮殿」は、チャーチル首相の先祖 ジョン・チャーチル将軍が、1704年の「ブレンハイムの戦い」でフランス軍に勝利した戦功として、時のアン女王から与えられた広大な領地とそこに建設された屋敷で、戦場となった南ドイツの村「ブレンハイム」を英語読みして「ブレナム」という名がつけられました。 また、王室関係のものでもない屋敷に「宮殿」という名称を付けることも同時に許可されます。確かに「ブレナム宮殿」は、貴族の大邸宅「ブレナムハウス」というよりも「宮殿」に相応しい豪荘な邸宅です。建築様式は、「(イングリッシュ・) バロック様式*」。 敷地総面積 4,998ヘクタール (内訳) 宮殿敷地 (宮殿・ガーデン・パーク・池) 754.3 宮殿敷地外の森林 440 宮殿敷地外の農牧地 3,804 <パーク側> ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 冬は、(敷地内に川を造ったの?! と思うような大きな) 池や、羊が放牧されている丘のある「パーク側」の庭のみ一般公開され、夏は、「邸宅内」とパークと反対側の「ガーデン」も一般公開されています (夏はホリデーに出かけて留守だから)。いずれの貴族も広大な領地の維持費と使用人の給料が莫大なので、入館料を取って足しにしています (貴族も大変です)。 <ガーデン側> ![]() ![]() ![]() 将軍は「公爵」(Duke) の爵位を与えられ、初代マルボーロ公爵 (Duke of Marlborough) が誕生することになります。「ブレンハイムの戦い」が名勝と高く評価された理由は、「最小限の負傷者・死者で」「戦争を早く終決させる」「どれほどの利益を英国にもたらす戦いか」という3ポイントにおいて、パーフェクトだったからです (ブッシュ大統領に聞かせてやりたいですね〜、長引くと、おのずと死者が増えますし、また勝ちさえすればよいというものでもないということ)。 尚、"Spencer-Churchill" の姓からわかるように、故ダイアナ妃のご実家とは親戚関係にあります (跡継ぎが途絶えたため、チャーチル家の娘が嫁いだスペンサー家の <彼女の生んだ> 次男を当主に迎え、一時、姓が Spencerになり、スペンサー家の分家のような形になりますが、第5代マルボーロ公爵が、姓に、元祖 "-Churchil" をプラスする許可を得る)。 代々、嫡男が「マルボーロ公爵」を継承しており現在は第11代目。チャーチル首相は、第8代マルボーロ公爵の弟を父に持つため (お父さん、次男だったんです)、マルボーロ公爵は継承していません。 チャーチル首相は、英国で初めて (Sir の称号のみの民間人として) 「国葬」になった人物ですが、本来は、多大な功績のあった人物が埋葬されている「セント・ポール寺院」に入るべきところを、祖先や家族の眠るウッドストックの墓地に一緒に埋葬して欲しいという遺言を残されましたので、「セント・ポール寺院」にはおられません。 ■■「バロック様式」の特徴 ■■ 16 世紀中頃から、それまでのルネッサンス様式 (英国バージョンは「ジョージアン様式」) に代って誕生する建築様式。ルネッサンス様式が直線的で端整・シンプルだったことに対する反動の様式といわれ、華麗、円形モチーフ、ねじり柱、重厚、そして、何よりも建築の外観にレリーフ的な彫刻と彫像をふんだんに装飾していることが特徴。ポルトガル語の「バロック」に由来し、「ゆがんだ真珠」の意。 < 前のページ次のページ >
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